本居宣長は何をした人か|国学者の仕事とは?

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Ⅰ はじめに|本居宣長とはどんな人物か

**本居宣長(1730〜1801)**は、江戸時代中期に活躍した国学者です。国学とは、日本の古い書物を直接読み、その中から日本人本来の考え方や感じ方、生き方を明らかにしようとする学問です。

当時の日本では、中国から伝わった思想、とくに儒教が学問の中心でした。そのような時代の中で、宣長は「日本のことは、日本の古い書物そのものから学ぶべきだ」と考え、日本独自の学問を追究しました。

本居宣長が「何をした人か」を一言でまとめると、

日本の古典を深く研究し、日本独自のものの考え方を、学問として体系的にまとめ上げた人物

と言うことができます。

とくに、日本最古の歴史書である『古事記』を長年にわたって研究し、その内容を詳しく説明した『古事記伝(こじきでん)』を完成させたことは、日本の学問史において非常に大きな意味を持っています。


Ⅱ 時代背景|なぜ国学が必要とされたのか

1. 江戸時代の学問の中心

江戸時代の学問の中心は、儒教でした。儒教は中国から伝わった思想で、「理性」「道徳」「礼儀」「秩序」を重んじる考え方です。幕府もこの儒教を政治や教育の基本として重視していました。

そのため、学問の世界では中国の古典を学ぶことが当然とされ、日本の古い書物はあまり重要視されていませんでした。日本の文化や考え方も、中国の価値観を基準に説明されることが多かったのです。

2. 国学の登場と目的

こうした状況に疑問を持った学者たちは、「日本のことは、日本の言葉と書物から考えるべきだ」と主張し始めました。これが国学です。

国学では、

  • 『万葉集』
  • 『古事記』
  • 『源氏物語』

などの日本の古典を研究し、外国の思想が入る前の日本人の姿や価値観を明らかにしようとしました。

本居宣長は、それまでの国学の成果を受け継ぎ、それらを整理・発展させ、国学を完成度の高い学問へと高めた中心人物です。


Ⅲ 本居宣長の生涯と学問生活

1. 松阪の町医者としての生活

本居宣長は、伊勢国松阪(現在の三重県松阪市)で生まれました。商人の家に生まれ、のちに医者となり、町医者として地域の人々を支えながら生活していました。

学者でありながら医者として働き続けた点はとても珍しく、宣長が学問だけでなく、現実の人々の暮らしを大切にしていたことが分かります。

2. 鈴屋での研究と教育

宣長は自宅に「鈴屋(すずのや)」という私塾を開き、全国から集まった弟子たちに国学を教えました。同時に、自身の研究もこの鈴屋で進めていきました。

医者としての仕事で忙しい毎日を送りながらも、宣長は研究を少しずつ積み重ね、35年という長い年月をかけて『古事記伝』を書き上げました。このことから、宣長の強い意志と粘り強い努力がうかがえます。


Ⅳ 本居宣長の最大の功績|『古事記伝』

1. 『古事記伝』とはどのような書物か

『古事記伝』は、日本最古の歴史書『古事記』を一文ずつ丁寧に説明した注釈書で、全部で44巻にも及ぶ大著です。

宣長は、言葉の意味や使われ方、当時の発音などを細かく調べることで、古代の日本人が何を感じ、どのように世界を見ていたのかを明らかにしようとしました。

2. 漢意(からごころ)を排する姿勢

宣長は、中国の考え方をそのまま日本の古典に当てはめて読むことを**「漢意(からごころ)」**と呼び、これを強く批判しました。

神話に登場する神々の行動や物語を、無理に理屈で説明するのではなく、

「そう書かれていること自体に意味がある」

と考え、そのまま受け止める姿勢を大切にしたのです。この考え方は、宣長の学問の大きな特徴となっています。


Ⅴ 宣長の思想|もののあはれと古道

1. もののあはれ

本居宣長は、『源氏物語』の研究を通して、文学の本質は**「もののあはれ」**を知ることにあると考えました。

「もののあはれ」とは、

  • 人の気持ちに深く共感すること
  • うれしさや悲しさ、切なさといった感情を素直に感じ取ること

を大切にする考え方です。

理性や教訓を重視する儒教とは異なり、宣長は人間らしい感情そのものを肯定しました。この考えは、日本文学の理解に大きな影響を与えています。

2. 古道(こどう)

古道とは、儒教や仏教が日本に伝わる前の、日本人本来の生き方や考え方を指します。

宣長は、古代の日本では、人々が神々の存在を自然に受け入れ、その中で生きていたと考えました。この考え方は、後に天皇を中心とする思想へと結びついていきます。


Ⅵ 本居宣長の影響と後世への広がり

1. 多くの弟子を育てた国学者

本居宣長には500人以上の弟子がいました。弟子たちは各地に戻り、国学の考え方を広めていきました。

中でも平田篤胤は、宣長の思想をさらに強め、より多くの人々に広めた人物として知られています。

2. 幕末・明治維新への影響

本居宣長の思想は、幕末の尊王攘夷運動や明治維新にも大きな影響を与えました。

天皇を中心とする考え方が政治の世界で重要視されるようになった背景には、宣長の学問的な研究があったといえます。


Ⅶ まとめ|本居宣長は何をした人か

本居宣長は、

  • 日本の古典を丁寧に読み直し
  • 日本人の感情や価値観を大切にし
  • 国学を一つのまとまった学問として完成させた

人物です。

その考え方は、文学・歴史・思想・政治にまで影響を与え、現代においても日本文化を考える上で欠かすことのできない存在となっています。

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